まゆみまゆみ

私はまゆみと申します。

今回は、私の入院体験談を書いてみようと思います。

主人はサラリーマンです。

転勤族のため1年前から単身赴任しております。

子どもは2人で、一人は大学生、もう一人は中学生です。

子どもに手がかかるという時期は過ぎましたが、ちょうど難しい時期であるということで、まだまだ育児を頑張っています。

私は双極性障害Ⅱ型です。

もう10年まえから病気と付き合っています。

ここ2年くらい調子がとても悪くなり、入退院を繰り返しています。

今回は1回目の入院の体験談を書いてみますね。

[双極性障害]入院に至るまでの経緯

冬が始まるかという時期に、私はK病院に入院しました。

その病院は精神科として、この地域ではとても有名な病院です。

まずは、入院の前の状況を少し書きます。

うつ状態がとてもひどく、薬を飲んでいるにもかかわらず、強い倦怠感で起き上がることもできませんでした。

最低限の家事くらいはしなくてはと思っているのですが、体がいうことをききませんでした。

気分は沈み、訳もなく涙がでたり、急にイライラしたり、何も出来ない自分を責めたり、もう自分の気持ちをコントロールするのはほとんど不可能に近かったです。

週一度通っていた心療内科の先生にも、「もう自分はこの辛い状況が我慢できなくなってきました。何もかも放り出して、消えてしまいたいです。」と涙を流しながら訴えました。

薬もあんまり効かないような状況で、先生が入院をした方がいいのではないかと提案してくださいました。

入院するということは、家を空けるということ。

主人は単身赴任で県外にいましたので、子供たち2人をおいての入院になるのだけど、そんな事ありえるのだろうかと考えました。

入院施設のある病院へ紹介状を書くから、それを持って行ってと言われました。

入院するより、もう治らないのならいっそ死んでしまいたい。

そんな気持ちがふつふつと湧いてきました。

うつ状態が1年以上も続いていれば、人は誰でも希望みたいなものは持てなくなると思います。

どんなに励ましの言葉をいただいても、もう心には響かないのです。

自分だけの世界に閉じこもって、負のスパイラルから抜け出すことなんて無理になります

こんな私がいるからみんなが不幸になるんだ。

私なんていなくなった方がいいのだと思い込み、自傷行為をしてしまいました。

自傷行為では死ねるはずなんてないとわかっていても、もう止めることは出来ません。

最終的には、首をつることを選択しました。

首をつるのにヒモを首に巻き付けて、手すりにも巻き付けて実行しようとしたところをたまたま帰ってきていた主人に「何してんだ?アホナことすんな!」と止められました。

次の日に、紹介して頂いた病院に行くと、初診で初対面にも関わらず、真剣にかつ深くまでいきさつやら今の状態やら気持ちやらを聞いてくださいました。

先生いわく、薬があまり効いていない。

状況が悪すぎる。

自殺しようとするくらい辛い状況なら、はやくどうにかしなくてはならない。

この病院に入院してもいいけれども、この病院では投薬治療しかできない。

投薬治療をするにしても、この最悪の状況をすぐに改善するような薬を見つけるには時間がかかりすぎるということなのです。

だから、投薬治療だけではなく、電気けいれん療法のある病院で早急に治療をした方がいいと、おっしゃってくださいました。

そこで、県内で電気けいれん療法の出来る病院ということで紹介してくださったのが、K病院だったというわけです。

[双極性障害]入院

紹介状を持って、また新しい病院。

それでなくても不安でどうしようもないのに、また1から先生にいろいろ説明しなければならないということが苦痛でたまりませんでした。

歩くのもやっとという状態で、K病院に行きました。

初めて女性の先生でした。

どのように先生と話して、どのように入院の手続きをしたのか、実はあまり覚えてはいないのです。

先生との話が終わったら、病棟の看護師が迎えに来てくれました。

担当の看護師です、よろしくお願いします。

何かあったらなんでも相談してくださいね・・・。

その看護師と病棟に行きました。

自殺の危険もあり、状態がとても悪いということで、急性期の患者のたくさんいる病棟に入院することになりました。

その病棟はもちろん閉鎖病棟でした。

かつ、保護室もある病棟でした。

保護室というのは、鍵のかかる病棟の中で、またさらに鍵のかかる個室になっている部屋のことです。

部屋というよりは、事件ドラマで警察に捕まった人が入れられる檻のような、そんなイメージの場所です。

保護室に入っている人は、人に危害を加えるような危険な状態の人だったり、自殺を実行してしまうような人だったり、叫んだり大声で怒鳴ったりするような人たちです。

食事も2畳くらいのその檻の中に小さな窓から差し入れられるような、全く自由のない部屋です。

聞くところによると、トイレも行けなくて、おしめを当てられるとか。

小さな部屋にポータブルのトイレをおいてもらえるときは、そこで用を足すようです。

初めて入院したときは、この閉鎖病棟は、とにかく怖い人がいるというイメージでした。

鉄の扉を何時間でもたたき続ける、とにかく大声で叫んでいる、怒鳴り声が朝だろうが、夜中であろうが聞こえてくる。

この世にも地獄はあるのだなと感じました。

よくわからないけど、なんだかとんでもないところに入院してしまったという気持ちがとても強かったと記憶しています。

[双極性障害]入院中の生活

一般の病院での入院だと、自分のベットがほとんどの生活の場所になるのですが、精神科病棟ではホールと呼ばれる空間があり、昼間はみんなそこで過ごすことが自由にできます。

女性用のホールと男性用のホールがありますが、部屋は昼間はつながっていて、自由に行き来しても大丈夫です。

それぞれの部屋にテレビがおかれていて、好きに見ることができます。

新聞を読んだり、手紙を書いたり、オセロや将棋などのゲームがあったり、本もおいてあり、自分の体調に合わせてですが好きに過ごせるスペースです。

3度のお食事はそのホールで食べます。

朝は8時が朝食です。

昼は12時。

夜は夕方6時です。

精神科病棟ということもあるのだとは思いますが、女性の看護師と男性の看護師が半々くらいでした。

とても力のいる仕事だし、危険だし、とても忙しく、大変な職場だと思います。

給食の給仕もしなければならないので、給仕のときは看護師はビニールのエプロンをします。

看護師なのにこんなことも?と少し違和感も感じましたが、女性の看護師ももちろん男性の看護師もしていらっしゃいました。

ケアワーカという看護師の補助的なお仕事の人もいらっしゃいました。

名前を呼ばれたら食事のカートのところにとりに行き、看護師やケアワーカが渡してくれる食事をもって自分の席について食事をとります。

席はどこでも自由でした。

食べ終わると、片付けは自分でします。

食べ終えた食器を食器ごとに分類しながら下げて、残したものはバケツに捨てます。

最後にお盆も同じ向きに片付けます。

食事をきちんととれているか、残しているものはあるのか、ケアワーカの人が一人ひとりのチェックをします。

このデーターはもちろん先生に報告されます。

各食事のあとは薬を飲む時間です。

精神科病棟だからなのか、薬は看護師が封を開けて手のひらにまで乗せてくれます。

そして、きちんと飲んだか必ず見ています。

精神科の薬は1度でも、1粒でも抜かしてしまうと、急にコントロールが出来なくなる場合もあるのでとても注意深く配られ、飲まされます。

1日のスケジュールとして、病棟のみんなで一緒に活動するものが、午前と午後に1時間ずつあります。

それをOTと呼んでいました。

OTは作業療法士の人が中心になってやります。

午前のOTは10時から11時。

午後のOTは2時から3時。



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月曜日の午前のOTは、エンジョイ。

エンジョイとは、作業療法士の人が、色んな雑誌、ピーズ、折り紙、パズルやギター、ぬり絵などを持ってきてくださるので、自分がしたいことをやってみるという時間です。

多少しんどくても、必ず作業療法士の人が部屋まで呼びに来てくださり、参加するように声掛けされます。

ただ、座っておくだけでもいいから、ホールに出てきてとも言われます。

私も調子の悪い時に呼びに来られて、支えられながらホールに出て、ソファーで座って1時間過ごしたこともありました。

OTの内容は、エンジョイや勉強会、ヨガ体操、軽いストレッチと体操、カラオケ、茶話会、季節に応じた行事、ゲームなどいろいろと工夫されていました。

お風呂も入れる日と時間が決められていて、大体1日おきでした。

お風呂は大浴場というには、小さすぎる大きさでした。

8人くらい入れば、シャワーも湯船もいっぱいになるくらいの大きさです。

体調のすぐれない人も多いし、何をするかわからない人もいますので、看護師やケアワーカが必ず見張っています。

もちろん介助のいる人も何人かいました。

ドライヤーはホールの鏡の前に2つおいてあり、自由に使えました。

お風呂の脱衣場のところ半分に洗濯機が2台置いてありました。

乾燥機付きですが、洗濯が200円で、40分の乾燥が100円でした。

40分では乾燥は出来なかったので、私はいつも200円乾燥にかかったので、洗濯代としては400円かかっていました。

男性ホールと女性ホールの間には扉があって、夜10時になるとその扉が閉まります。

ホールでテレビを見ていい時間は11時まででした。

夕方7時になると、洗濯機のおいてある脱衣場との扉も鍵をかけられていました。

結局、夜7時以降は外へ出るための扉へ向かう廊下の間の扉にも鍵がかけられてしまうので、外とは完全にシャットアウトされます。

男女各ホールにある大きな窓ももちろん隙間が少し出来るくらいしか開かないようになっていましたし、各部屋の窓も同様でした。

朝は6時に男女ホールを分けている扉と、洗濯機の脱衣場と外へ向かう廊下の間の扉の鍵が開けられます。

寝る前のお薬は、9時くらいから順番に持ってきてくれます。

もちろん寝る前のお薬も、看護師が薬の封を開けてくれて、手のひらに出してくれたものを飲むのです。

不眠症の人も多いし、寝付けない人もいたり、調子が悪く頓服を飲みに来る人もいるので、ホールには誰かかれかいる状態でした。

就寝は夜10時で、部屋の電気は時間になったら消えました。

廊下の電気は、トイレに行く人もいるので、ついていました。

病棟の1日の生活は起床して、洗面して、食事をとって、OTに参加して、薬をきちんと飲んで、ほかの患者さんと話をして、自分の部屋で横になったり休んだりして、また夜になって就寝。

そんな日々の繰り返しです。

[双極性障害]看護師と患者

入院生活を送るということは、患者にとっては病棟で生活をするということになります。

そんな1日の生活を看護師はそれぞれ担当している人がいるとはいえ、毎日見てくださるわけです。

1ヶ月も入院すると、だんだん看護師ともコミュニケーションをとれるようになります。

精神科病棟では、ある種特殊な人の集まりです。

患者の態度によっては、看護師は本当に傷つけられる場合が多いと思います。

暴力によって、危険な目に合う場合もあるし、言葉による暴力によって傷つく場合も他科よりも多いと思います。

看護師はプロフェッショナルだから、ある程度は訓練もされているだろうし、慣れみたいなものもあるでしょう。

仕事と割り切らなければやっていけないような状況を何度も見たことはあります。

患者ももちろん好きで病気になったわけではないし、病気のせいで暴力的になったり、暴言をはいたり、いろんな行動をおこしてしまっているのです。

普通が普通でしょと言えない病棟であります。

時には、何が正しくて、何が間違っているのかもわからなくなるような状況になるときもあります。

ただ、家にいる時と違うことは、困ったときには必ず看護師がいてくれるということです。

めまいがしてどうしようもない時には助けてもらえます。

気持ちが沈んでどうしたらいいかわからなくなってしまった時も、相談に乗ってくれる看護師がすぐそばにいるということです。

私は幸せなことに、私の話を聞いてくれる看護師に出会うことができました。

基本的にどの看護師もいい人で、真剣に耳を傾けてくれました。

ケアワーカさんにもずいぶん助けて頂きました。

[双極性障害]患者どうしの付き合いについて

閉鎖病棟という閉ざされた空間のなかで、しかもそれぞれ違う病気で必死に生きようとしている患者どうしが仲良しグループのようになるのは難しいと思います。

自分の事で精一杯な状況では、相手を思いやる言葉もでるはずはありません。

妄想患者によって、みんなの前で、「お前なんか死ねー。」と言われたこともあります。

相手があるというよりも、自分がどのように考えたり、行動すれば病気と向き合っていけるのか。

自分を見つめる時間がたくさんある入院という状況のなかで、どのように生きるべきかを考える方が大切なのです。

社会生活をしていくために、ゆっくりとした時間の中でいろいろ試行錯誤しながら、考えながら前を向く訓練の日々だと思います。

もちろん、体をやすめたり、出来ればストレスのない状態で過ごすのも大切です。

しかし、この精神科病棟の閉鎖病棟では、ストレスなしとは決して行かないのも現実です。

扉をずーとたたき続ける音、叫び声、怒鳴り声、妄想患者の独り言、訳の分からない事を言い続ける人の声など。

朝から、夜も、夜中もその音や声の中での生活。

あんまり普通の人は想像できるものではありません。

面会に来てくれた親が、こんな環境にいるなら家にいる方が病気が治るんじゃないのというくらいです。

でも、同じ病気同士でしか理解できないようなことを、共有できる場でもありました。

[双極性障害]入院してわかったこと

状態が悪い時に、一人で家にいてもなんらいいことを考えることは出来ません。

入院したからと言って、状況がすぐに回復して楽になるとは思えません。

だけど、入院するということは、ある程度、自分を見つめる時間と休養する時間は確保できます。

また、客観的に生活全体を見守ってくれながら、自分の考えについて助言してくださる看護師もすぐそばにいてくれます。

自分は存在してもいいんだ、生きていてもいいんだよと、ずっと支えてくれます。

自分の事で精一杯だった時期を少しクリアして、周りを少し見れるようになった時に、この優しさに気づきます。

自分より状態の悪い人を見て、自分もあんな状態だったなーと、心に少し余裕も出てきます。

一切、人にも会いたくないし、会話もしたくない状況から、少しづつ誰かと話を出来るようになります。

段階的に回復していけると思います。

かなり、時間がかかるとは思います。

でも、ゆっくりでもいいんじゃないのという気持ちが芽生えることが大切でもあります。

無理せずに出来ることをやっていけばいいんだと理解できるときに、退院は近くなると思います。

子どもいる人にとっては、かなり入院するということは、周りを巻き込むという点で決断のいることだと思います。

ですが、多少誰かに迷惑をかけたとしても、元気な自分で家に戻ることがどれほど大切かとわかると思います。

一番は自分だと思います。

もう、これ以上ダメで、選択肢がなくなっている精神状態の人は、入院するという選択肢もあることを覚えておいてほしいと思います。

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