[うつ病]私のこと

初めまして。

関東に住んでいる、美代子と言います。

もうアラサーですが、うつ病は中学3年生頃からなので、10年以上になります。

今飲んでいる薬はサインバルタ、デプロメール、安定剤にデパスとレキソタンです。

読書をたり、絵を描いたり、作品を作ったりぼーっとするのが好きです。

最近ではポケモンgoとガリガリ君のメロンパン味にはまっています。

[うつ病]鬱病の人が入院するところ

鬱や心の病を患った人が入院するのは、人の出入りに大きな制限がかけられる精神科の閉鎖病棟、開放病棟です。

鬱や心の病という言葉が以前より一般的になり、病を抱えている人も打ち明けやすくなったり、理解が進みました。

それでも会社の面接で、「自分はうつ病です。精神科に通院しています。」というのにはまだ抵抗があります。

私も実際に正社員として入るつもりの会社の面接では、会社側には一切伝えませんでした。

日常生活で支障が出るほどの症状がなくても、相手がどのような印象を持つのかわかりませんし、仕事には問題ないとその時は思ったからです。

だから、精神科、入院、閉鎖病棟というキーワードにはマイナスのイメージが強い人も多いと思います。

暗く、ジメジメし、患者は人としての扱いをしてもらえない。

辛い治療、鉄格子のついた檻の中で人が叫んでいる…。

こういう想像する人もいるのではないでしょうか。

[うつ病]昔の精神病院

医療が発達する前の時代は、精神病の患者の人権は無視されていました。

イギリスにある世界最古の精神病院ベドラムでは治療を目的とするどころか、暴れる患者には手錠をして鎖で繋いだり、見物客から入場料をとって見世物にするなどしていたそうです。

20世紀になってからも暴れる患者へ薬を大量に投与しておとなしくさせる。

暗い部屋で一列に並んでの囚人のような食事風景。

脳の一部を切除するロボトミー手術、体に強い電流を流す。

拘束椅子にしばりつける。

こういった様子が写真などに残されています。

日本で私宅監置といい、自宅の一部を改装して格子で囲うなどして、精神病患者を閉じ込めておく、という制度がありました。

[うつ病]今の入院施設は?

今の精神科の入院施設はどうでしょうか。

まず私の第一印象は、スタッフの人がものすごい丁寧に接してくれる、でした。

規模の小さい病院や、クリニックには何軒行きましたが、特にそこでは普通の病院とは特別に変わったことはありませんでした。

でも私の入院した病院はスタッフの人達がとても丁寧に接してくれるところでした。

ストレスなどで病んで入院してくる人達への配慮だと思います。

それまでは精神科に通っている自分が嫌でした。

高校生の最初の方に通っていたクリニックの冷たい院長先生と話すと、自分がすごい恥ずかしい人間のような気がしていました。

精神を病んでいる自分は普通の人とは違う、劣っているんだ、恥ずかしくて、母を泣かせて困らせてばかりの駄目な人間なんだ、と思っていました。

特別他の誰かに何かを言われた経験はありませんでしたが、自分で自分に駄目人間のレッテルを張っていました。

だからスタッフの人の自分への丁寧な扱いにはとても救われました。

[うつ病]入院する時は?

入院する基準には複数あります。
まず、入院する本人の意思が優先される任意入院です。

この方法は言ってしまえば、本人が出たいと言えば出られるし、入りたいと言えば入れる入院方法です。

私はこの方法でした。

2つ目は本人が拒否しても、保護者などの同意があれば入院となる保護入院。

ナイフを持って暴れるなどして他人を傷つける恐れや、自分を傷つける恐れがある場合は強制入院となることもあります。

[うつ病]私が入院するまで。

私の入院までの経緯は、学校、家族、受験、部活に挟まれて中学三年生でリストカットを始めて拒食症にもなり、高校生で学校の勉強についていけずに落ちこぼれて、家では父親に言葉の暴力に近いものを受けて精神状態がおかしくなって、精神科に通っていました。

でもその時でも入院はしませんでした。

その後両親が別居し、父と離れてからは症状もだいぶ良くなり、卒業後はフリーター、浪人をして大学生になりました。

精神科でもらった薬を飲んで、改善せず、副作用で一限の朝礼から昼休みまでぶっ通しで居眠りをして、自宅でもぼーっとしているだけだったので、この頃には通院もやめて、精神的な薬も全く飲んでいませんでした。

大学の途中からめまい、異常な疲れ、視野の歪み、何もないところでつまづく等の症状が体に出たので、かかりつけの内科で自覚症状の箇条書きを見せました。

すると先生に「あ、これはうつの症状だね。」と言い、私はこれは体に大変な異常があるんだ、CTを撮ってもらうなどと思ってたのでびっくりしました。

精神的に元気な自分がまさかうつだとは思わなかったからです。

デプローメルとドグマーチールを処方されて一週間後、体の不調がピタッと止んで、それからしばらくは問題なく過ごしていました。

この頃の自分はバイト先の男の子に片思いをして、変なやる気に満ちていて学校の課題もかなり無理して頑張っていましたと思います。

その年の春休みには、家族内での私の知らなかった問題が発覚して、やり場のない怒りにずっと頭がおかしくなりそうにもなっていました。

本人は、私は頑張れてるから大丈夫、食欲もなくて体重もどんどん落ちてるけど動けてるから平気、と全く自分の状態には無自覚でした。

大学3年生の9月は大変な時でした。
家を出て行くことが突然決まり、家の中はバタバタしていました。

私は学校の課題を頑張って、その作品を学外の公募に応募するつもりでした。

そんな時、片思いをしていた相手にコンペに出す物の手伝いを頼まれ、張り切って一週間かけて学校の課題は放置、講義に出てもずっと手伝いの続きをして仕上げました。

この頃の記憶は、いつ頃友達にすすめられて付き添ってもらって心療内科に通い始めたのか、いつ頃から致死量や成分を調べて自殺のための薬を買い始めていたのか、引越しの時は何をしていたのか、曖昧ではっきりしません。

頼まれて仕上げたものを渡した後、どうやら自分はただ単に課題の手伝いをさせられていた、自分の気持ちを利用されていただけ、という事に気がつきました。

その後どうしたのか、全く記憶にありません。

フローリングの床の上で、毛布にくるまって、一日中ゴロゴロしながら自殺用に買った薬と他の何かの薬を一回に十錠ぐらいのむを繰り返し、夜になって2、3回吐いたのを帰宅した母に見つかり、救急車を呼びました。

(この時手伝ったものは、後日あれは私の作品だ!という理由で相手から回収し、今は私のの手元にあります。

改めて見ると、これはヤバイなぁ…相当精神的に来ていたんだなぁとしみじみ思います。

この内容を報酬ゼロで嬉々としてやる…ありえません。

普通の精神状態ではなかったんだ、という事はわかりますが、自分の描いたこの絵を見ても当時の自分が何を考えていたのかは正直全く理解できません。)

一人だと何するかわからなくて危険という理由で、母同伴で後日心療内科に行きました。

吐いて、母がめちゃくちゃ心配で困惑して泣きそうな顔になっているのを見ても、自分はまたやらない自信がない、などと言っていました。

自分には入院は必要ないし、生きる理由もない、という状態でした。

その次の日、次の次の日あたりに副作用が来て、体が水すら受け付けずに吐き戻してしまう、一日吐きっぱなしで水も飲めない状態になって床でのたうちまわっていました。

体がものすごいダメージを受けて、「あー、もうしないもうしない。こんなんじゃ外にも出られない、寝たきりになる。やらないやらない。」とすごい後悔をしました。

他にも浮遊感などの副作用が起きて、そのまま数ヶ月治りませんでした。

そこのクリニックには入院施設はないので、紹介をしてもらい入院先を決める、ということになりました。



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[うつ病]まずは病院の見学

最初に都内の病院を紹介されました。

任意入院だったので、私が安心して治療を受けられるかどうか、見学してから決めることにしました。

外観も院内も普通に綺麗な病院という感じで、ぱっと見で精神科とは感じない造りでした。

中を少し歩いて、施錠されている所から中に入ります。

入院施設は、症状の度合いによってフロアや棟が分けられていて、その時は一番症状の軽い人たちのいるフロアは満床でした。

車椅子に座って、点滴を受けながらテレビを見ている人、落ち着かなくてずっと歩いている人。

クワイエットルームへようこそ、という映画で見たような感じでした。

中のルールは厳しく、携帯は持込可ですが、充電のためのコンセントがありません。

危険防止のため、紐がついているスニーカーも駄目、充電ケーブルも禁止でした。

もっと症状の重い人の入院施設もあるとのことでしたが、見学はしませんでした。

案内をしてくれたスタッフの方の話では、精神科の入院施設と聞いて想像するような感じに近いそうです。

患者の人権が尊重されてきても、格子のある部屋はあるそうです。

ただ、このような部屋は閉じ込めるというよりも、自傷してしまう人、暴れる人、状態が悪化した人を静かな環境でストレスから守り、保護する目的で設けられていて、保護室や隔離室と言います。

私は入院は必要ないと思っていましたが、入院することで母が安心するなら、という感じだったので、入院そのものには抵抗はありませんでした。

ただ、私が気になったのは学校でした。

休学や留年したらモチベーションが下がって、卒業できなくなる、単位が気になって入院しても落ち着かないだけだと思っていました。

そのことをスタッフさんに伝えると、心配事がある状態での入院よりも、本人の意思が優先されるので心配事を片付けてからの入院をすすめてくれました。

でも、その間に満床になる可能性がある、とのことでした。

後日、大学の職員や教授、助手の人に相談し、友達にも協力してもらって、入院しても進級は大丈夫という状態になりました。

次に紹介してもらったのは同じ県内で、家からもかなり近い郊外の病院でした。

症状が一番軽い人向けのフロアが空いていたので、見学し、ここに入院することに決めました。

この時は、私も先生も年内には退院できるだろうと思っていました。

[うつ病]入院生活

部屋は個室か、4人1部屋です。

カーテンがあるのでプライバシーは守られます。

閉鎖病棟ではなく開放病棟だったので、外まで出るのに鍵がかかっているところはありませんでした。

朝は8時か8時半頃から朝食です。

広い談話室で食事を受け取り、そのままそこで食べてもいいし、部屋に持って行って食べても大丈夫です。

食事は毎回談話室で受け取って、食後に看護師さんが台車で薬を持ってきてくれます。

その後、作業療法がある日や、心理的な対処のセミナーを聞いたりします。

これは自由参加です。

私は最初の頃は部屋に引きこもって、食事は自分のカーテンの中で食べていて、作業療法にも出ずに、ぼーっとしたり引きこもっていました。

カウンセリングや、先生との面談もあります。

外出は行動制限がかけられていなければ、門限までに帰ればどこへ行くのも自由です。

入浴も決められた時間内なら自分の好きなときにできます。

入院患者の状態は、いつも看護師さん達が様子を見ていて、治療のために記録されたり先生に伝えられます。

フロアの中はとても静かで、音によるストレスはありません。

夜は21時半に消灯なので、生活リズムも自然と規則的になります。

[うつ病]入院するメリット

入院することで、今まで自分のストレスの原因だったものと距離が置けます。

それまでの病院の先生には、原因の根本を探ろうという人は一人もいませんでした。

思春期という複雑な時期ということもあり、治療が難しいせいもあったと思いますが、優しい先生も、冷たい先生も、表面的な状態でしか判断せず、薬を飲めども改善しませんでした。

薬でぼーっとしていた自宅療養の時間には意味があったのかもしれません。

でも治療の効果を実感したことはなく、精神科の治療なんか不可能で、意味なんかない根性論でなんとかなると思っていました。

入院にも期待していませんでした。

私はそれまで、自分の鬱状態が悪化したり、そもそもの精神的に不安定になった原因は全て父にあると思っていました。

入院して実際に父に面会に来てもらってたり、話すことで頭に血が上って私が激昂するなどのやりとりはありましたが、私の話も父の話も先生は個別にしっかり聞いて分析してくれました。

父は父なりの事情があった、ということを初めて知りました。

そうして父との問題が解決するようになると、今度はいままでわからなかった母との関係の問題が見えてきました。

一時帰宅の度に言い争いになり、最終的にはそれまで隠していたことを当てつけるように暴露されたりしました。

叔母もなんでそんなこと言ったんだと呆れるような内容で、今でも暴露された理由がわかりません。

入院までは完璧に味方だと思ってた人が、自分の知らないところでこんなことをしていた、それまで友達の家に泊まることもなかった私が、家から離れて初めて家庭を壊した原因が母にもあると知りました。

[うつ病]退院する頃

その後はひどい状態でした。

こんな家なんかに帰るか!と病院に私物を持ち込んで引きこもり、洗濯物もそれまで持ち帰って洗っていたのを病院で洗い、正月も家に帰りませんでした。

母親が先生にカウンセリングをすすめられていました、もうなんなんだこの人は…という感じでした。

このあたりから私の治療はうまく行った部分と、またどこかぶっ壊れてネジが何本か取れた部分が出たのだと思います。

治療がうまくいったのか、失敗したのかわからなくなる時があります。

人間ちょっとやそっとじゃ死ねない、という事を悟ってから斜め上にカッ飛ぶような事をするようになりました。

退院直前にカウンセラーや主治医が絶句するようなこともやらかしました。

[うつ病]退院後

入院後も相変わらず、だらしがないのに変なところが神経質で真面目だと言われます。

それはうつというよりも、アスペルガーとも関係しているのだと思います。

でも入院前に持っていた、他人に抱いていた期待のようなものはもうありませんでした。

自分に必要ない人間関係、害のある人間関係は煩わしいだけだから切りすてて自分を守ろう、自分に有益でないものには関わらないようにしようと思うようになりました。

それまではこんな自分でも声をかけてくれる人がいる、自分のことを頼りにしてくれてるんだから全力で張り切らなきゃと、約束は全部守って、自分のことを二の次にすることがありました。

でも友人関係にあっても、私のことを平気で雑に扱う人間がいる、自分のことしか考えずにニコニコしながら他人を平気で傷つける人間がいる。

そんな人達と付き合っても何にもならない、だからもっと自分を大事にしようと思うようになりました。

きっとバイト先の人達は、世の中には嫌な人間がいることを身をもって私に教えてくれたんだから私は感謝しなきゃ、などと開き直りました。

入院をきっかけに、死にたくても人間なかなか死ねないんだという思いや、生きるために必要な図太さが少し私に生まれた気がします。
私は入院を通して、友達ができました。

友達も調子が悪く再入院したり、退院した人がまた入院していた、という話を聞きます。

私が入院した時には既にいて、退院する時もまだいた人もいます。

なので、入院の期間は人それぞれです。

入院費用は病院によってかなり異なります。

私が母に聞いた額は、15~18万ぐらいでした。

大部屋でしたが、差額ベット代がかかったそうです。

入院費が高くてびっくりすると、それで私が死なないで済むのならと言っていました。

入院しなかったら母親との関係は以前のままで、私の状態も良くならなかったと思います。

患者同士の人間関係のストレスがゼロでありませんが、お互い配慮をすれば問題ありません。

集団で同じ場所で生活をするので仕方のないことでもあります。

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