私は中学3年の頃からリストカットをするようになり、最近ようやく克服しました。

切ってる間私、自身もやめたいと思っていましたがなかなかやめられませんでした。

私の体験が参考になれば幸いです。

[リストカット]高校生の時がピーク

一番ひどかったのは高校の時です。

でもその時のことはほとんど覚えていません。

覚えているのは、友達との会話を少しと、リストカットをしたせいで母親が脱衣所にとじ込もって泣いていたこと、だけです。

母の話では毎日のようにリストカットしていたそうです。

高校に上がり、父親との関係は中学の時よりも悪化していました。

私がリストカットをしていた理由は、家族に対する憤りをちゃんとぶつけられず、全部自分にぶつけて発散させていたからだと、今は思います。

後は友達が少なくてかまってほしいとか、気にかけてほしい、ということもあったと思います。

母がカッターを没収してもこっそり買ってしまい、ブラウスの袖はいつも血だらけでした。

保健室の先生の紹介で心療内科に通い始めますが改善せず、その後都内の病院に通い始め、薬の副作用で授業はいつも寝てばかりでした。

高校3年生の秋頃から担任の先生のすすめで、月曜日の5限目以外を全部自宅療養するようになりました。

その頃に父親が別居で出ていき、私の状態は少し良くなったそうですが、結局精神的に病んだままで卒業しました。

[リストカット]きっかけはアルバイト

大学を1つも受験せずに病んだままで高校を卒業し、このままでは娘がニートになると判断した母は、私に月数万円を家に入れるよう言いました。

私もタダ飯を食べるわけにいかないと思い、アルバイトを始め、理解ある人に囲まれて働いたことが改善したきっかけでした。

バイト先の制服は半袖でした。

最初は許可をもらって半袖の下に長袖を着ていましたが、現場はかなり暑く、アームカバーをするようになりました。

だんだんアームカバーも邪魔になり、思いきって半袖で仕事をしてみました。

その頃はまだリストカットは完全には治っていなかったと思います。

切った後は包帯か絆創膏をして仕事をしていたのか、それとも何もせずにやっていたのか、はっきりと覚えていませんが、隠さなければ人に不快感を与えるような傷はなかったと思います。

傷跡に関して、他のスタッフやお客さんに何か言われたことはありませんでした。

[リストカット]だんだん面倒に…

バイト先の大学生に刺激を受けて予備校に通い始め、大学に合格した後もバイトは続けていました。

リストカットは年に数回まで減り、薬は必要なかったので通院もしていませんでした。

部署移動で、包帯を巻いても衛生的に問題がない部署になりました。

でも切った場所に包帯を巻いていたら、明らかにリストカットだと思われます。

だから切る時は、隠しても違和感のない手の甲を切って、絆創膏で隠して「どうしたの?」と聞かれときは適当にごまかしていました。

大きい絆創膏がなく、包帯とネットで見た目が大袈裟になっていた時は「大丈夫!?」と心配され、内心ではただのリストカットなんです…と思っていたので、心配される度に誤魔化すことが徐々に面倒くさくなりました。



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[リストカット]傷跡に気を使うのも面倒に

傷の処置も面倒でした。

以前は消毒して包帯巻いて終わりでしたが、傷跡を残さないためにはかさぶたを作らないようにうるおいを保ち、消毒をしなくてはなりません。

自分が作った傷のために気を使い、お金を出して大きい絆創膏を買うのも面倒でした。

知らない人に傷を見られるのは全く気にならないのですが、会社に勤めて始めてからは自分は気にしないけど、傷跡は自分にとってはマイナスな要素ということを自覚していたので、夏でも長袖でした。

だから新しく傷を作るなんて、絶対に嫌でした。

[リストカット]いい先生に出会えて家族の問題もいい方向に

大学生のときにバイト先の人間関係のこじれや、私の知らなかった家族の問題がきっかけで過量服薬をして、精神科に入院をしました。

その時の先生が、ものすごく客観的に私や家族のことを見てくれたので、カウンセリング中心の治療の結果、家族に対しては今までのように溜め込みすぎることもなくなりました。

私がリストカットをする大きな理由だった、家族に対する憤りは改善しましたが、このときはもう20代半ばでした。

高校生の時と異なり、人間関係は家の外にも築かれていたので、今度はそっちで大きくストレスを感じるようになっていました。

[リストカット]やめた一番の理由

家族のことが解決しても、何年もリストカットを続けていたので、ひどく鬱状態になった時には時々切っていました。

それでもやめた一番の理由は、切っても一瞬嫌なことを忘れるだけで、何も解決しないということに気が付いたからです

高校生の時は嫌なことがあると、何も考えず、ワンクッションを置かずに切っていました。

回数が減ってからは何回も、切ろうやめよう、切ろうやめようの繰返しで、それが最後に爆発して切っていました。

リストカットをしていましたが、私は痛いのが苦手です。

痛みで生きている実感を得るためにではなく、ぶつけられない怒りや、言葉にできないモヤモヤした気持ちを自分にぶつけるために切っていました。

切るときは、カッターをぶつけるようにして、広い範囲を一度に何回も切っていました。

回数が減ってからは切りたいと思っているときは、頭の中ではリストカットをしているイメージを思い浮かべていました。

いざ切ると決めても、以前のようにたくさんは切れないので少ししか切れません。

実際に切ると痛くて自分のイメージの通りには切れず、切りたくても切れない、だからますます切る理由がなくなっていきました。

このように切りたいを我慢して、実際に切る、イメージ通りに深く切れない、切っても解決しないを繰り返してようやくやめることができました。

リストカットは精神的な問題が表面に出てきて起きるものだと思います。

リストカットをそのものが治っても、今度は違う所で問題が表面化するかもしれません。

私もいまだに自分の意見を人に伝えることができず、伝えるときは爆発してからなので、その後の人間関係を維持することができなかったり、伝えることも嫌で関係そのものを完全に断ち切ってしまう、ということを未だににしています。

リストカットが治っても、根本的な原因の解決が必要です。

やめようとしても、やめられない自分にますます絶望するので、客観的に自分のことをみてくれるお医者さんに会って原因を探ること、やめようとする行動が必要だと思います。

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