[リストカット]私のこと
初めまして。
関東に住んでいる、美代子と言います。
もうアラサーですが、うつ病は中学3年生頃からなので、10年以上になります。
今飲んでいる薬はサインバルタ、デプロメール、安定剤にデパスとレキソタンです。
読書をたり、絵を描いたり、作品を作ったりぼーっとするのが好きです。
最近ではポケモンgoとガリガリ君のメロンパン味にはまっています。
私のリストカットと拒食症
私は中学3年生で、受験と部活、親に板挟みになり、それまでのじわじわとストレスが爆発してリストカットを始めました。
その頃は下剤を1日に何錠も飲み、学校の給食は牛乳しか飲まない、朝食はもちろん抜きで、夜は塾に行く途中のコンビニで買ったおにぎりだけ、というように拒食症にもなっていました。
下剤はしばらくの期間飲み続けて、その間徐々に量が増えていきました。
ある日、牛乳だけ飲んだ給食の時間が終わって、昼休みにピンクの下剤を50錠飲みました。
その後、ものすごい腹痛が起きました。
まるで腸がねじれて切れるんじゃないか、爆発するんじゃないじゃないかと思うほどひどい腹痛でした。
ものすごい体に悪いことをしているんだ、このままだとヤバい!と初めて危機感を感じました。
下剤は中学生のお小遣いでも買える程度の金額なので、母が薬の箱を見つけては処分し、私がまたこっそりと買うの繰り返しで、なかなか治りませんでした。??
でも50錠飲んで腹痛を起こして以来、怖くて下剤は1錠も飲まなくなりました。
そもそもどうして最終的に50錠も飲むなんてことになってしまったのでしょうか。
何となく軽い気持ちで始めたダイエットが原因でした。
最初は食事を少し残す程度だったのが、体重が減ることが楽しく、周りにも痩せたね可愛くなったねと言われてどんどんエスカレートしていきました。
一番ひどい時は体重が30kg台になっていました。
その後、高校受験の試験の時に、脳に糖分を送ろうと食べたチョコレートひとくちから反動が始まって体重が元に戻っていきました。
今、高校当時の写真を見ると、もともと丸顔で童顔なので可愛くはないですが、ものすごい太っているということもありません。
でもその時は体重が元に戻ったせいで、自分はものすごいデブで気持ち悪いんだ!と思い込み、精神的な状態が悪化していきました。
リストカットは体重が戻り始めた中学3年生の3学期に始まりました。
受験、部活、家庭、学校での人間関係からのストレスで4月から拒食症のようになり、精神的に不安定な状態が続いて、とうとう切ってしまいました。
『カッターで自分の体を傷つける。』
このやり方をどこで知ったのかは覚えていません。
インターネットか本のどちらだと思います。
リストカットばかりの高校生活
その後、高校生になってからは、「自分は太っていて、人前に出て堂々と振舞ってはいけない人間なんだ」という思い込みから極度に自信をなくしていました。
家で父親から受ける言葉の暴力が辛くても、外に出て人前にさらされるのも恐怖だったので逃げ場がありませんでした。
「辛い現実から目を背けて、自分一人の世界に逃げる」という言葉を聞きますが、私にはそんなことはできませんでした。
家にいれば父からの干渉を受け、外に行くのも金銭的にも難しく、そもそも人目が怖いので家の外が逃げ場にはならなかったからです。
リストカットは唯一、自分の気持ちをぶつける手段でした。
血を見ると安心する、痛みを感じると生きているという話も聞きますが、私は自分の中のぶつけようもない気持ちを自分の腕にぶつけていました。
自分の気持ちをわかってほしい、自分は辛いんだということを誰かに気付いて、わかってほしという気持ちもありました。
高校生活は好きではありませんでしたが、幸いにもいじめにあうことはありませんでした。
それでも駅でのラッシュや人混みが怖い、苦手な子に会うかもしれない電車の通学も嫌い、クラスに馴染めない自分も嫌い、入学して1ヶ月で大学受験する気力もなくなったのに進学校にに自分がいる理由もわからない、学校のお荷物のようなどん底の成績の自分が嫌い。
いじめられもしないし、特別仲の良い友達がいるわけでもない。
自分の居場所を得るためや、理由がなくても頑張って勉強する人を私は尊敬します。
中学性の頃から勉強しろ勉強しろ、高校は偏差値を少しでも伸ばすんだと押し付けられて、勉強が将来何の役に立つのかもわからず、そもそも勉強する意味がわからなかったので、全くやる気がありませんでした。
中学生の頃は勉強しなくても、テストの成績はいい方でした。
この頃、もっと言うと小学生の時から周りの友人と仲良くは出来ても、いつも一緒にるような友人関係を築くのは苦手でした。
でも成績が良かったので、高校生の時ほどの負い目は勉強に関しては感じていませんでした。
高校生、青春、大学受験生、部活、バイト、インターネット、自分の趣味。
そういったキーワードの中で、高校生の自分にはどこにも属する場所はありませんでした。
家の中にも、自分の居場所はありませんでした。
私が高校生の時は、今のようにLINEやTwitterのような気軽にコミュニケーションが取れるSNSブームではなく、ブログが流行っていました。
そこでも、個人的な鬱日記を公開して他の人とやりとりはしない、という大勢の中の一人であるだけでした。
この時代はまだガラケーの時代です。
10代に携帯が浸透し始めたばかりで、持っていない子も珍しくなく、勉学に支障が出るという理由から高校側が携帯の所持そのものを禁止していました。
面と向かってクラスの子と話すこともできないし、携帯のメールで誰かとやりとりをする、ということもできませんでした。
[リストカット]メンヘラがアイデンティティ
はっきりと覚えていませんが、心療内科、精神科は高校生1年の頃から通っていたと思います。
「自分はリストカットをして、心療内科に通う、いわゆるメンヘラ。」
自分はメンヘラであると思うことが、アイデンティティのようなものでした。
だからずっとリストカットがやめられませんでした。
母親がカッターを没収しても、100円ショップで簡単に買得るので、イタチごっこです。
ブラウスの袖はいつも血でガビガビでした。
私は痛みに弱いので、切る時はいつも浅く、たくさんでした。
腕や手首の内側は皮が薄く、痛そうという理由で肘から下の外側をたくさん切っていましした。
せいぜい血が皮膚を伝って床に数滴落ちる程度でした。
だからリストカットを深くやりすぎて縫合が必要になる、救急車を呼ぶなど、自分が危機的状態になるということがありません。
下剤を飲んで、体にものすごいダメージがあるということを自覚したような、やめるきっかけになる決定的な出来事はありませんでした。
それに、リストカットをやめてしまったら自分は病んでいない普通の人になっしまう、メンヘラでなくなってしまう、属する場所がなくなってしまう。
今思えば、自分がメンヘラであり続けるために切っていたのだと思います。
[リストカット]不特定多数の名も知らない誰かに期待する
誰かに「どうしたの?」と聞いてほしかったのも理由だと思います。
両親は理由は聞かずに、ただ「切るな、やめろ」と言うだけです。
パワフルな父親は、無理やり上から押さえ付ければ治ると思っていたようです。
平手打ちも何回か喰らいました。
それでも治らず、腕を切って部屋で爆発して暴れる娘。
父親にも手に負えない存在だったのだと思います。
今だったらやり返すことはできますが、精神的に圧迫し、それが原因なのに病んでることを責めて高校の学費を出さないなどとめちゃくちゃなこじつけをする父親に泣いて謝る娘、というのは今思うと普通ではないと思います。
この頃はまだ、友達は少ないのは恥だ、名前も知らない誰かに優しく心配されて、気付いてほしいんだなど小説や少女漫画のようなことを期待していました。
名も知らない誰かに心配されるのを期待していたのです。
リストカットに変わるもの
高校3年生の秋、このままでは私と弟が壊れてしまうと思った母は別居を決め、父が家を出ました。
この頃から学校の先生の配慮で、出席単位が必要な授業以外は全て自宅療養することになりました。
学校に行くのは月曜日の午後の1時間だけ、それ以外はたくさん時間がありましたが、強い薬を飲んで、ぼーっとしてるか寝てるかの生活でした。
高校の履修問題が頻発した年で、私の学校もそれに該当していました。
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朝から一日中、一つの教科だけをずっと受けるために学校に行きましたが、この時期はなんとかいけるようになっていました。
こんな状態では大学生活は無理だし、そもそもやりたいこともないのに何故大学に行くの?という理由で、現役では受験せずに卒業後はフリーターになりました。
バイト先の制服は半袖で、許可をもらって下に長袖を着たり、アームカバーをしていました。
職場は売店で、かなり暑くアームカバーも邪魔になってきて、思い切って外して仕事をしてみました。
それ以前に職場の人は私が明らかにコミュ障でどこか変わっていて病んでる?と思っていたので、アームカバー外しても何も言いませんでした。
私が変わった人間でもいじめられることはありませんでした。
傷跡はまだ残っていました。
切ったばかりの傷、というより跡で、母の話では赤く筋になっていて、明らかにリストカットしたとわかるようなものだったそうです。
一度アームカバーを外したら、職場の衛生上切っても包帯を巻くわけにもいかず、強制的にリストカットができない状態になりました。
それにもう高校生ではありません。
学校と家に居場所がなくても、以前ほど引け目を感じることはなくなりました。
自分がメンヘラである必要が徐々になくなってきました。
[リストカット]大学受験で得たもの
職場で年上の大学生に接してるうちに、自分も専門学校や大学に行きたいと思うようになりました。
美術系の学校です。
やりたい職業が決まっていたので専門学校を希望しましたが、親と相談して時間にゆとりのある4年制大学に進学することにしました。
試験内容には鉛筆デッサンがあるので、県内の美術予備校のデザイン科に通い始めますが、「なんか違う…。」
もともと絵を描くのが好きでしたが、デザイン系の課題は制約だらけで全く楽しくありません。
こんなの絵じゃなくて作業だ、自分のやりたいことと全く違う…と思っていたある日、ファインアート系の予備校生が描いた作品を見かけて、こっちだ!と思いその科へ編入しました。
美術部に入った経験もなく、漫画風のイラストを描いたことはあっても、それまで全く美術、アートというものに興味もなく、描いたこともありませんでした。
でもモチーフをしっかり観察して描くということがとても楽しく、大学受験のためのデッサンを習って、工業系の大学に行くつもりが、純粋に絵を描くのも楽しいと思えるようになりました。
それでも予備校の先生が厳しく、私は精神的に未熟で逃げて休んでばかりでした。
ここでもまた病み始めてしまいますが、リストカットはしてませんでした。
ある日予備校で極度の緊張で貧血を起こして、逃げるように都内にある大手の予備校に移りました。
そこは今まで見たことがない場所でした。
絵に関して、先生は全然怒らない、全て自己責任です。
希望者の少ない学科でさえ生徒の数が半端ないので、怒っていたらキリがないのです。
誰かと群れなくても、一人で行動してても大丈夫な場所でした。
小規模で生徒と講師の距離が近い予備校から、都内の大手の予備校に移ってカルチャーショックのようなものを感じました。
今まで、一人でいることにコンプレックスを感じていたのは何だったんだろう、と思いました。
絵に関する考えや態度などは最初の予備校で、大手の予備校では一人でいることが不自然ではない、誰かとつるんだり群れたりしなくてもいいんだ、という事を教わりました。
[リストカット]大学生になって
その後大学に進学する事ができました。
当時便所飯、ぼっちという言葉が流行りました。
もともと誰かと行動するのは苦手で、不必要ならしたくもなかったので、一人で構内をウロウロしていても全く問題ありませんでした。
美大生はみんなマイペースで、自分の学科がグループ課題が一つもない個人プレーな事もりあり、程よい距離でものすごく気が楽でした。
もうリストカットをしてメンヘラである事にこだわる必要はありませんでした。
メンヘラをやめても、自分は美大生です。
美大を卒業した今も、美術の世界に携わっていいんだ、居場所があるんだ、という安心感がありました。
居場所がメンヘラが美大生に変わる過程で、切る事が馬鹿馬鹿しくなってきたのも理由の一つです。
私は大学の途中で、バイト先の人間関係に疲れて病んで一度ぶっ壊れて入院しました。
大学生になってからいきなりリストカットが治ったわけではありません。
今でも病んでいて、会社も精神的なものが理由の1つで退職しました。
それでもリストカットなんかしなくても、自分には変わるものがある、という事に支えられました。
大学の卒業制作はそれまでの嫌な事を「お前らばかやろーーーーー!!!」という気持ちで作品の一部にこっそり込めました。
リストカット
リストカットは症状の1つです。
何か原因があっておきます。
心的外傷、思春期の苛立ち、原因になることは人それぞれで、本人にも理由がわかりません。
やめろと言われても、結局他人の言葉では私もやめられませんでした。
私は入院する中で、母親にも原因がある事がわかりました。
入院して、距離を置いて、先生と面談をして初めてわかりました。
周りにリストカットする人がいたら、本人が不要と言っても心配してあげてください。
やめろと言っても、やめられません。
それでやめられるなら苦労はないのです。
だからやめられなくても責めないでください。
ばい菌入るから消毒して、くらいでいいと思います。
でも何度も深く切って縫合を繰り返すなどして、一度に大量に血液を失うと心臓に負担がかかります。
南条あやさんという人がいます。
ネットアイドルとも言われましたが、もう亡くなっています。
彼女は静脈まで切るほど深いリストカットを繰り返し、最後は薬の大量服薬自殺で亡くなっています。
解剖の結果、自傷行為が原因で心臓の弁に穴が空いていて、死因に繋がったそうです。
このように自傷が体に直接被害を及ぼすこともあります。
あまりにひどい時は精神科へ通院をするなどの対処が必要です。
私も治った、完治したと思っていたのに、先日母と口論になった際に、何故かリストカットがたまらなくしたくなり、手の甲を切ってしまいました。
母には「当てつけのように切るな!自分のアパート戻って切れ!」と言われました。
自分のことを認めて欲しいという事を伝えてエスカレートした喧嘩でした。
入院を前後して母との関係は明らかに変わりましたが、その後も徐々に距離は離れています。
でも私は母と一定の距離を置くことが、自分を守ることがとわかったので、それで母と距離がうまれることには抵抗がありません。
今いる環境が安心できるだけで、心の安全に繋がるとは限りません。
パーソナリティー障害がリストカットの原因とも言われていて、年齢が上がるにつれ改善することもあるそうです。
甘やかしてくれるだけの先生が良い先生とは限りません。
何が原因なのか、しっかり考察してくれて、自分自身がそれにも気づけるきっかけを作ってくれる先生、個人的にはこういう人が良い先生なのかな、と思います。
リストカットに代わる物を自分で探す必要もあります、自分の体を改造するという方法以外で。
私はそれが美術や作品を作るということでした。
だから誰かが治してくれると期待して待っていても、誰も治してくれません。
ただ、メンヘラがピアスをあけまくる、タトゥーを入れる、髪をド派手に染めるということは、ファッションと自傷がごちゃ混ぜになって、完治するまではリストカットの代わりの行為になるだけのような気がします。
自分もリストカットを我慢してる時は「ピアスあけたいな、ピアス…」となんども思いました。
でもファッションではなく、自傷の代わりだと自覚していたので1つもあけませんでした。
自分にとってタバコはオーバードーズの、ピアスはリストカットの代わりだから絶対ダメだと決めています。
リストカットの跡は人にもよりますが、完全に消すのは難しいと思います。
体質により、傷跡が残りやすい、残りにくい人がいます。
私はおそらく残りやすい方です。
切って、洗浄、消毒をして、ワセリンをたっぷり塗布して傷を乾燥させない処置をすればほとんど残らないのですが、それが面倒くさくてほったらかしにすると残ってしまいます。
傷跡は私は気にする必要はないと思いますが、それでも会社で正社員として働いている間は、バレるのが怖くて夏でも長袖のシャツを着ていました。
それ以外の人には何を思われても関係ない、どうでもいいとしか思わないので、気にせず半袖を着たり、腕をまくったりしています。
リストカットはわけのわからないもの、治し方もわからない、一生治らないと焦らずに、リストカット以外の方法で自分を確立できれば、必ず改善すると私は思います。
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